妄想と現実の境界線
人生 経験よりも実践である
無題
久々にナルトです。
小説と言うよりは掃き溜めのようなものでしょうか。
あぁ、どうするべきなのだろうか。
漠然とした不安が現実になった瞬間のどうしようもないほどの遣る瀬無さは虚無感に似ていてちょっと違う。
この世に絶対などと言うものはありはしない。無論、英雄などと言われようとも結局は人殺しでしかないのと同じように、死して英雄など崇め立てられても嬉しくもなんとも無いだろう。
その分、死人にくちなし、とはよく言ったものだ。先人の言葉は案外役に立つこともあるのだと知らしめる一端だ。
そう、死してなおも崇めたてられた張本人はその意味を知らないまま死した後英雄となった。
英雄になんてならなくて良かったのに。ただ、傍に居てくれればそれだけでよかった。
そんなちっぽけな願いを叶えてくれるほど世の中優しくは無い。
親友に裏切られようと友達に拒絶されようと存在そのものを否定されようと。結局は現実は何も変わりはしない。
時間は流れ、死んだ人間は蘇りはしない。それは絶対であり、世界の理である。
ならばその理を壊せば死人は蘇り、願いは叶えられるのだろうか。ちっぽけでどうしようもないほどの思いだとしても。叶えられるのだろうか。
どうしようもないほど馬鹿な考えに腹の底から笑いが込み上げてくる。
それはどうしようもない馬鹿げた事だ。そして不本意ながら真実、望んだことだ。
人の一生で戦争なんてそうそう起こりはしないだろう。
それが平時ならば、の話なのだが忍の世界でその平時すら戦争となんら代わり映えはしない。
ただ単に国同士の戦いならば良かったのか。正義も悪も存在しない、命令通り役割をこなしていればよかったのか。
人は慣れる生き物だ。戦争にも殺すことにも生きることにも。人はいつしか慣れる。そこに心が伴うかどうかは別として。
人の一生は短くも長い。それは誰にでも言えることであり、それが現実として満足いくまで生きられるかは別だ。
あっけなく人は死に人殺しの代償を払える人間などこの世の中では居はしないだろう。
英雄なんてならないでいい。ただ傍に居てくれればそれでいいのだ。
十分に生きた。そう言った男の言葉が胸の内で渦巻いている。
何に対しての言葉なのだろうか。その時、その場に居た桃色の髪の少女が目じりに涙を溜めて首を振っていた。
どうしようもない居た堪れなさに顔をゆがめる黒髪の少年。全てを受け入れた銀髪の上司。
様々な反応の中に異物を飲み込んだ、そんな反応を見せるのは決まって金色の子供の役割だ。
誰かが強要したわけではない。ただ、相せざる得ない理由がある。金色の子供にも銀髪の上司にも周りを取り巻く人間にも。
父親と同じ色彩を受け継いだ子供はただ黙した。
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